教会案内
C&MAJについて
クリスチャンと宣教同盟(Christian & Missionary Alliance Japan)は、どんな教団ですか。
1.C&MA は純粋な福音主義の教団です。
本教団は、その出発(19世紀末)から現在まで、福音主義の路線を堅持しています。神学的な自由主義と聖書の御言葉に対する高等批評の登場及び、社会福音(Social Gospel)という波の渦巻きのなかでも、常にキリストが主なることと、救い主なることを一途に一番重要なメッセージとして伝えています。特に、本教団の基本教理である‘四重福音’ (Four-Fold Gospel: 新生, 聖化, 神癒,再臨)として福音に向かう純なる信仰的な姿勢を堅持する教団です。
2.C&MA は宣教にすべての情熱を注ぐ教団です。
キリスト者宣教同盟教団が他の福音主義教団と違う点は、世界福音化に集中することだと言えます。本教団は宣教で出発し、創始者のシンプソン(A.B. Simpson)牧師ご自身も宣教師として海外へ出かけようとした方で、宣教師を訓練させて送ることをミニストリーの唯一な目的の一つにしている使命者でした。本教団は初期から世界福音化を主の再臨と関連付けていました。
3.C&MA は、イェス・キリストを通した体験的な信仰を重視する教団です。
本教団は、構成されたクリスチャンたちが聖霊の助けによって聖潔な人生を営み、霊的にも肉的にも癒しの源になられるイェス・キリストを人生の現場で経験できるように教え、再臨の主が直ちに来られるように世界福音化の成就のために祈り、健康に成長する「大使命」教団です。
私たちが信じている本質的なもの
1.神様
神様はただ一人で、完全無欠でいらっしゃり、御父、御子、御霊の三位一体として永遠に存在なさる。
(申命記 6:4, マタイ 5:48; 28:19)
2.イエス・キリスト
イエスキリストは、真の神様である同時に、真の人間でいらっしゃる。彼は聖霊によって宿られ、乙女マリヤからお生まれになった。正しい方として悪い人々の身代わりとなり、贖(あがな)いの生贄(いけにえ)として十字架で死なれ、誰でも彼を信じる者は彼の流された血潮によって正しいと称される。彼は聖書の御言葉通りに、死人のうちよりよみがえられ、今私たちの大祭司として、天におられる大能者の御座の右に着座しておられ、彼の義と平和の永遠な御国を完成させるために再び再臨なさる。
(ピリピ 2:6-11, ルカ 1:36-38, 第Ⅰペテロ 3:18, ヘブル 2:9, ローマ 5:9, 使徒の働き 2:23-24, ヘブル 8:1, マタイ 26:64)
3.聖霊
聖霊は人格的な神様であり、信じる人々に送られ、彼らの中におられ、導かれ、教えられ、能力をお与になり、罪について、義について、裁きについて、世にその誤りを認めさせられる。
(ヨハネ14:15; 6:13, 使徒の働き1:8, ヨハネ16:7-11)
4.聖書
新・旧約聖書は原書に記録されている通り、まったく誤りがなく、聖書の御言葉一つ一つが聖霊の感動によって記録され、人間の救いのための神様の完全なる啓示である。聖書は権威があり、クリスチャンの信仰と実践に対する唯一の規範である。
(第Ⅱペテロ1:20-21, 第Ⅱテモテ 3:15-16)
5.人間
人間は元々神様の御姿通りに創造されたが、不従順による堕落によって肉的、霊的な死亡をもたらしたのである。すべての人間は罪の本性を持って生まれるし、神様の命から隔離され、もっぱら主イェス・キリストの贖いだけによって救われることができる。悔い改めない不信仰の者は意識できる永遠なる苦痛のなかで、信じる者たちは永遠なる喜びと福楽のなかで永遠に生きる。
(創世紀 1:27, ローマ3:23, 第Ⅰコリント15:20-23, 黙示録 21:8; 21:1-4)
6.救い
救いとは、イェス・キリストを通してすべての人々に機会が与えられ、誰でも悔い改めてイェスを信ずる者は聖霊により生まれ変わり、永遠の命をプレゼントとして受け、神様の子どもになることである。
(ローマ 6:23; エペソ 2:8,9; ヨハネ 14:6, 1:12; テトス 3:4-7)
7.聖霊充満
神様の御旨は、すべての信じる者が、みんな聖霊に満たされ、真に聖められ、罪と世的な物から区別された生活をし、神様の御旨に完全に献身し、神様から与えられた能力によって聖い人生と効果的な奉仕の人生を生きることである。これは、改心した後の信じる人たちの人生に与えられた選択であって、一回的であり、また徐々に成される体験である。
(第Ⅰテサロニケ 5:23, 使徒の働き 1:8, ローマ 6:1-14)
8.癒し
イェス・キリストの贖いのミニストリーのなかには、肉体の癒しも用意されていた。病人のために祈って油を注ぐことは聖書の教えであり、今日の教会に与えられている特権である。
(マタイ 8:16-17, ヤコブ 5:13-16)
9.教会
教会は、主イェス・キリストを信じて、その血潮によって贖われ、聖霊により生まれ変わったすべての人々で構成される。キリストは彼の身体である教会の頭でいらっしゃり、教会は主から、世に出て証人として全民族に福音を宣べ伝えることを委任された。一つの地域にある教会は、キリストを信じる信仰者たちが集まった一つの身体として、神様を礼拝し、御言葉で養育され、祈りと交わりと福音宣布とバプテスマ(浸礼)と聖餐を施すための集いである。
(エペソ 1:22-23, マタイ 28:19-20, 使徒の働き 2:41-47)
10.復活
義人(正しい人)と悪人(正しくない人)は肉体として復活するが、義人は命の復活として、悪人は裁きの復活としてである。
(第Ⅰコリント 15:20-23, ヨハネ 5:28-29)
11.再臨
イェス・キリストの再臨が近づいているし、彼の再臨は個人的であり可視的であり千年王国以前にあることを信じる。これは信じる人々の祝福なる望みであり、聖い生き方と真実の奉仕を鼓舞する重大な真理である。
(ヘブル 10:37, ルカ 21:27, テトス 2:11-14)
私たちが実践する内容:私たちはどのように生きているのか。
私たちの生き方は、私たちが信じることと直接つながっています。聖霊が教えることに基づき、私たちは次の7つの内容を実践しています。
唯一の権威としての聖書
また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。(第Ⅱテモテ 3:15-17)
ただ、神様の御言葉だけが完全に信頼できる権威を持つため、私たちは聖書を私たちの人生の唯一の手引きとしています。ですから、すべての決定事項に対する私たちの最初の反応は、「聖書はこれに関して何と言っているのか。」をまず先に考えることです。私たちは毎日聖書を黙想し、読むことを実習し、聖書勉強及び聖書暗唱などを訓練します。聖書は私たちが何を信じるのかに対する根拠になるからです。
個教会としての地域教会
また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり… ( コロサイ1:18)
キリストが教会の頭、即ち、主人でいらっしゃる。ある人、団体、或いは宗教機関も、それに代わることはできない。教団と他の教会との協力は相変わらず必要であるが、各地域教会は個別的であり独立的な自治権を持つ。教団は地域教会を助けるために存在する。ですから、私たち教会を通して、教会が開拓されても、御国の拡張のために互いに協力関係を追求するだけで、干渉はしない。
大祭司としてのすべての信徒
また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。(黙示録 1:6)
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。(第Ⅰペテロ 2:9)
聖書は、すべてのクリスチャンは、仕えるためにフールタイムで呼ばれたと教えています。過去には、独特な祭司を通して神様と交わることができたが、今は各信徒たちが神様と直接交わることができる特権を持つようになりました。彼らに与えられた時間、賜物、才能、心、そして職業などを通して、神様と人々に仕えることを果たせるためです。
什一献金
こうして地の十分の一は、地の産物であっても、木の実であっても、みな主のものである。それは主の聖なるものである。(レビ記 27:30)
私たちは神様の命令に従い、キリストの身体である教会を後援するために、什一献金を実践しています。収入の10%をささげることを聖書の基準としています。
浸水洗礼
あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。 (コロサイ 2:12 )
私たちは浸水による洗礼を行います。これはイェス様も同じく行われた方法であり、また聖書が命ずることです。
聖霊と同行する人生
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ 15:5)
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。(ヨハネ 14:16)
クリスチャンの人生を生きるために、一番重要な核心は、うちのなかにおられる神様の能力に毎日頼ることです。聖霊様はこのことのために毎瞬間私たちを助けておられます。
キリストを他の人たちに紹介すること
むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。 (第Ⅰペテロ 3:15)
神様が私たちを通して導かれる人々と、福音のお知らせを分かち合うことは、私たちの責任です。私たちは個人的にキリストを分かち合ったり、人々を教会に導いたりすることを通して、このことを実践します。