主日礼拝 1部説教
1部礼拝(日本語)
パウロの証仕える者になりなさい!
ヨシュア 24:14-18
I.Key Idea
決断するべき生き方と言うのは瞬間々にあります。ヨシュアは自分自身の命を締めくくる思いで、最後に民に決断を迫りました。ヨシュアが今迄の出来事を見回して見ても、イスラエルの救いの御業が、只、主の恩寵の中で実現してきた事が解っていたので、今、主の前で信仰的な決断をせよと民に迫ったのです。ヨシュアが特に“仕える者になりなさい”と言っている意味は、強制的に抑圧されて仕えるのでは無く、自分自身の意志で主に仕える事だと迫っているのです。信仰には中間地点と言うものはありません。主に属していなければサタンに属しているのです。それだけではなく、信仰とは強要ではなく意思による選択であるべきなのです。民はヨシュアの前で“主だけに仕えます”と契約を結びました。こうして民は、主がイスラエルの先祖の民を導き、大きな奇跡を行われてエジプトから導き出し、異邦の民たちの中から民を保護して下さった主であることを告白したのでした。
II.Small group Discussions
1.ヨシュアが全ての民に申し渡した内容とはどんなものでしたか?
2.ヨシュアが24:14節で主を恐れ仕えなさいと強調した理由は何でしたか。
3.24:15節で“私と私の家とは主に仕える。”と言う言葉は、決断について私達に何を教えていますか?
4.24:19節で“ねたむ神”とありますがこれはいったいどんな神なのでしょうか?私達がどのようにすれば、主をお喜ばせ出来るのでしょうか?
5.24:25-27節を見ると石を証拠として立てたのを見ることが出来ます。皆様の生活に中で信仰の決断の表れとして、このような標識とも言えるものが有りますか?そのようなものが有れば何でも分ち合って見ましょう。
6.イエス様は私や皆様を愛し、私達の罪を消す為に天と地の間に高く掛けられ、おおやけ公に人間としてのみ受ける事の出来る罪悪の辱めを、喜んでお受けになられました。それなのに、未だに私達が人の前で信仰者として、自分自身を公に表すのを恥ずかしいと思う、その理由は何なのでしょうか?
7.今日学んだ御言葉を分ち合いお互いのために祈りましょう。
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